先週の日曜日にいきなりJPが検査入院をし、水曜日に戻って来た。一人で電車に乗って戻って来た。
木曜日にもう一度検査があるというので仕事の休みをもらわねばならず、ついでなので金曜日も休みを取った。
じつは木・金・土曜日とわたくしのおシゴトが入っていたので、JPには前から休んでもらうことになっていた。
わたしのおシゴトは滅多にないことで、あっても短期なのだが、ある時には朝が早く夜が遅い。なので、おシゴトの時にはいつも子どもをどーしようかってことになる。だから、JPに休んでもらうことが多い。JPは公務員なので有給休暇がいっぱいある。仕事がいくら溜まっていても、休まなきゃならないこともあるほどだし、年末が近づくと消化しないといけない休みも待っている。
検査の結果は3週間後。その間に悪化しないのかと心配。
木曜日は夜遅くに出て行くことになっていたので、かなり余裕だった。
みんなのご飯を用意してからミーさんとの約束の場所に出かけた。
そうなのだ、おシゴトと言えばミーさんである。
日本からのお客様は二手に分かれてお迎えすることになっていた。第一グループをお迎えしたあとに3時間も空港でぶらぶらするのはいやなので、第二グループには申し訳ないけれども、トゥールーズの街に出てさっさとお食事することになった。ミーさんは空港で第一グループが遅れなかったことを確認してから、お友達のシェフに電話して、「今からお前のレストランの席を予約してくれ」と勝手なことを言っている。
お友達のシェフはトーキョーに居るというので、ばか受けだった。
「あのおミーさん、トーキョーのお友達って。。。あっちは午前三時ですけど。」
ガハハと馬鹿を言って笑っているミーさんを横からつっつく。
トーキョーでビジネスしてるフレンチなシェフが、自ら席を取ってくれた彼のレストランは、なんか、すごいレストランだった。星もいっぱいついてたので、おそらく3週間ぐらい前から予約しておかねばならなかったのではないかと思う。
星はいっぱいついてるけど、肝心なシェフはトーキョーでビジネスなので、わたしはちょっと「大丈夫かな?」と思いながらお席に着かせていただいたが、とってもすばらしいディナーだった。
この前トーキョーから来た《あー》さんとミーさんとの初日のエビ、プラス、お二人の毒気(?)により、今世紀最大の下痢を起こしたわたしだったので、今回は非常に用心して、メニューをよく読んだ。エビは避けた。
さて、第二グループは22時50分(なんと時間通り)に無事ご到着。申し訳ないけどディナーもなしで、アルビのホテルに直行。自宅に帰り着いたのは1時頃。爆睡。
二日目は、午前中に各工房を見学し、マカロンを試食しながら会議。昼食はなし。午後はケーキとチョコレートを食べまくり、アルビ市内を少しご案内。サント・セシル大聖堂で懺悔ゼンゲ。。。。(?)トゥールーズ・ロートレック美術館で、記念メダルなどを購入。ホテルに戻る途中フォアグラ屋でショッピング。少し自由時間があったので、お客様がお部屋でお休みされている間、わたしは子どもと約束した漫画ショップへ。ノエミのお気に入りの『フルーツバスケット 14巻』は品切れ、ゾエのお気に入り『cats 2』(韓国の漫画)を購入。
夜はレストラ〜〜ン。星付き〜。
夜中過ぎに帰宅して、お腹がパンパンで、吐いた。食べ過ぎというよりは、甘いもののとり過ぎと寝不足で、頭がんがんという感じ。
翌日は朝の8時15分にホテルにお迎えに上がらなければならないので、わたしは7時15分前には目覚ましを合わせた。爆睡。
目覚ましが鳴らず10時に飛び起きて、「アアーどうしよう」と叫んだものの、よく考えたら
「ミーさんがいっしょに空港に行くことになっていたんだから、ミーさんが行ってくれただろう。ははは、助かった」
ということになり、安心して再びベッドに戻った。また爆睡したあと、
「あ、でも、ミーさんとは途中で待ち合わせをしているだけで、ホテルにはわたしがいかなきゃダメなんだったああああ〜〜〜!!あああ〜〜どーしよう〜〜〜。みなさん飛行機に乗り遅れて困ってるう〜〜。どうしようクビだああ〜〜。」
と泣きながら飛び起きた。
飛び起きたらお昼頃のはずの寝室は真っ暗。
「ここはどこ?わたしはだれ?」
と頭を抱えていると、目覚ましがけたたましく鳴った。
夢だった〜〜〜〜〜。助かったああ〜〜〜。
肉屋でアルバイトして、裸の地鶏に追いかけられる夢を見た。あれは人生最大の印象に残った夢ナンバーワンだと思っていたのだが、今回のはほんとうにリアルだった。そういえば、この前JPが家を出て行って、追いかけてる夢も見た。あれもリアルだった、そういえば。
土曜日と日曜日は寝て暮らすぞと思っていたのだが、パパが病院に入って、やっと戻って来たと思ったら、ママがお出かけでちっとも家にいなかった、と言ってふてくされているゾエのために、いっしょにゲームをしたり工作をしたりした。台所も手伝うと言ってきかないから、ずうっとゾエにくっつかれていた。
日曜日の朝、わたしたちが工作をしていると、JPがサイクリングをするというので送り出した。帰って来たJPは、よぼよぼのおじいさんみたいな歩き方。腰を痛めて戻って来てんの、この人ってば。
お昼ご飯に呼んだら、座って食べられないというものだから、子ども達がチャーハンをベッドに運んでくれた。夜はサンドイッチとスープを作って、ベッドサイドで寝室ピクニックをした。
「まあね、病院の部屋で食べるよりは、ね」
なんて言いながら。ベッドの上がパン屑だらけ〜。
JPは、今週月・火がトゥールーズでの研修で、水・木・金がパリ出張の予定だったが、月曜日には駅まで歩けないと思う。
「ほらね。仕事はどーでもいいから、休みなさいって、神様が言っているんだよ」
と、また追い討ちをかけている、わたし。
JPは、今日は「ふむ」を言わずに、「そうだなあ、明日仕事休もうかな」と言っていた。
よっぽど痛いんだろう。数年前にやったヘルニアの再発じゃないだろうか。
困ったものだ。
ミーさんところのシゴトが片付いていてよかった。
編集部の『さ』さんに送っていた第一稿の添削が戻って来たので、これから翻訳の仕事をがんばってやらなければならない。
じつはこちらもとっても楽しい。
dimanche 11 octobre 2009
第一稿の添削
先日提出した第一稿が、編集の方が添削してくださって、またフランスに戻って来た。
細かい注意事項を読みながら、原文を読み直し、誤訳探しや、その他註がわりにわたしの意思で勝手に付け足す文章の読み直しなども行って、12月には第二稿を提出しなければならないとのこと。
メールで、質問をしたり意見を聞いたりもできるので、たいへん心強い。
思っていたよりも添削の場所が少なかったのでほっとした。
しかも、赤ペンじゃなく、地味に鉛筆での修正がうれしい。
さあ、がんばろう。
細かい注意事項を読みながら、原文を読み直し、誤訳探しや、その他註がわりにわたしの意思で勝手に付け足す文章の読み直しなども行って、12月には第二稿を提出しなければならないとのこと。
メールで、質問をしたり意見を聞いたりもできるので、たいへん心強い。
思っていたよりも添削の場所が少なかったのでほっとした。
しかも、赤ペンじゃなく、地味に鉛筆での修正がうれしい。
さあ、がんばろう。
mardi 29 septembre 2009
第一稿 提出

そろそろ終わらなければと思っていたら、夏休みがあけてから編集部の《さ》さんから「進んでいますか?」とのメールをいただき、大慌てで仕上げを始めた。
《仕上げ》と言っても、予定通り小学校低学年用に、何もかも優しい言葉に代えて、ひらがなを増やす作業や、書式を整えると行数も変わってしまうので、ほんとうの仕上げはもっとあとになるだろう。
なぜなかなか終わらなかったかというと、翻訳している途中で、文体を大きく変更してしまったから。
原文では、ナレーターが主人公の視点で語るという全体の形があり、そのナレーターは、たまに、いきなり、主人公以外の視点でもものを言い始める。フランス語には複数形もあるし、主語をいちいち明らかにするので、日本語のように主語を表す単語がなくてもわかるような会話文を作らなければならない。ナレーターは三人称で物語を進めるので、《彼が》《彼女が》をどうにかしなければならない。小学生の読者は「彼が 彼女は」という言い方はしないだろうから。
それで、個人的に、一人称の方が物語に入っていける方なので、文章全体を一人称に換えてしまうことに決めた。これは編集部の《さ》さんも同意見だったので、問題はないだろう。物語が一人称であると、三人称の場合よりも、物語の進みがおそくなるものだが、登場人物が少ないので助かった。
たとえばナレーターが語る物語であれば、アメリカにいるXさんのことを語りながら、同時にフランスに住むYさんのことも語れる。
「ところで、その頃フランスのYさんは。。。」という風に、物語をワープすることができるから。
ただし、アメリカにいるXさんという主人公によって語られる一人称だと、XさんとYさんが出会わなければYさんの言葉を会話文の中に入れることができない。携帯電話と、インターネットは、小説でもずいぶん活躍してくれるようになったが。
納稿のもう一つの大きな遅れの原因は、ギャグのせいだ。
フランス語の単語を使った言葉遊びや、ギャグが何カ所もある。学校嫌いで、いつも人を笑わせてる子ども達の話なので、ギャグがなければおはなしにならない。悩んだ。。。
とりあえず、提出できたので、あとは編集さんからのご意見を待つのみ。変なところも書き直してもらえるので、楽しみ。
じつは、あまり「よろしい!」と言われる自信がない。
これからも読み直しを続ける。
mardi 9 septembre 2008
産経新聞 2008年9月8日夕刊

産経新聞で紹介されたと連絡があった。
書評ではなく本の紹介で、短いあらすじのみ。
こんな小さな記事の、こんな簡単な紹介で、いったい誰に「読みたい」と思ってもらえるものか?と思うが、じつは、本好きはけっこう新聞の本の紹介欄を細かくチェックしているものなのだ。
何を隠そうこのわたしも、本屋で立ち読みできないので、インターネットや、雑誌・新聞の紹介文のみに頼って本を注文している。
外れもけっこうあるので、わたしの読書の好みに近い人や、わたしを個人的に知っている人たちからの、直接の情報「これ、面白かったよ」が一番役に立つ。
と、いうわけで、新聞のこんな小さな記事も見落とさない読書好きの人たちが、記事を読まない人たちに「この本よかったから読んで」とウワサしてくれることを祈る。
よい本をすすめる会
9月1日
文研出版から、『わたしは忘れない』が秋田県の『よい本をすすめる会』の特選図書に選ばれたという連絡をもらった。
インターネットで見たら、『わたしは忘れない』は目録74号の中にまだ加えられていなかった。
http://www.npo-books.jp/index_yoiosu.htm
この中から、
幼稚園ーー消防自動車のジプタ、ネズミのよめいり は、昔なじんだ本で、懐かしくなった。
文研出版から、『わたしは忘れない』が秋田県の『よい本をすすめる会』の特選図書に選ばれたという連絡をもらった。
インターネットで見たら、『わたしは忘れない』は目録74号の中にまだ加えられていなかった。
http://www.npo-books.jp/index_yoiosu.htm
この中から、
幼稚園ーー消防自動車のジプタ、ネズミのよめいり は、昔なじんだ本で、懐かしくなった。
samedi 30 août 2008
わたしは忘れない3

2008年7月30日 初版第一刷 5000部が発行された。
あとがきから
「おじいちゃんたちがいるのに、一緒に過ごさないのはもったいない。」
レアが言っています。うちの二人の子どもたちも、いつも同じことを言っていました。そして、母親であるわたしは、いつもこんなふうに説明していたのです。
「お母さんたちには、いろいろと大人の事情があるの。仕事は休めないし、おばあちゃんの家は遠いし、おじいちゃんは気難しくて会えばけんかをしてしまうし、田舎に帰ると親戚がうるさいし、夏休みには空港が混んでいるし。。。」
おばあちゃんちに連れて行けない理由は、本当にいろいろあるんですよ。でも、そう言っているうちに、我が家の子どもたちは、おじいちゃんに一回しか会えませんでした。まだ若いと思っていたおじいちゃんが、病気にかかり、あっという間に帰らぬ人となってしまったからです。おじいちゃんとの思い出を、もっと作ってあげられなかったことは、わたしにとって一生心に残るであろう、大きな後悔の傷となりました。
そんな悲しみの日々、わたしは心休まるお気に入りの場所、町の小さな図書室を、さまよっていました。そして、ヤエル・ハッサンさんの本に出会いました。
『だれでも、目の前にいる大好きな人と、いつか別れる日が来るなんて考えもしない。その日が来てしまった時に、「もっとたくさん好きだと言っておけばよかった」と後悔するのね。大好きな人にはいくら好きだと言っても、言い過ぎることはない。だから、言える時に思うぞんぶん、好きだよって言うべきなんだよね。おじいちゃんにも、もっと言っておけばよかった』
この部分を読んだ時に、涙が止まりませんでした。中学の時も、大人になってからも、家族に対しても、いつも、だれかと別れた瞬間に、好きだと言い足りなかったことを後悔してきたはずでした。そして、また父にも言い足りていなかったのです。
レアのおじいちゃんは生きていました。大人たちが歩みよることで、再会することができました。はじめはとっても気難しく、暗く、冷たいおじいちゃんでした。しゃべってくれないから、レアにはおじいちゃんがなにを考えているか分かりません。おじいちゃんには秘密がありそうです。大人たちはみんな何やら隠しごとをしています。でも、レアはあきらめない。いたずらをしたり、意地悪を言ってでも、ふり向いてもらおうとします。そして、おじいちゃんは、少しずつ心を開いてくれるようになります。
おじいちゃんには、とても辛い過去がありました。アウシュビッツで行われた、ユダヤ人大量虐殺の生き残りだったのです。ハッサンさん自身のおじいさんとおばあさんは、ほかの多くのユダヤ人とともに罪もなく殺され、お父さんだけが生き残ったのです。このハッサンさんのお父さんが、レアのおじいちゃんのモデルとなった人物です。
ヤエルさんは、この翻訳本が出版されるにあたって、日本の子どもたちのために、こんな言葉を寄せてくださいました。
《第二次世界大戦のとき、男性・女性・子ども・赤ちゃん、たくさんのユダヤ人が、ユダヤ教を信仰しているというその理由だけで、ナチ党に虐殺されたことを忘れないでほしいから、そして、殺された六十万人もの人々を尊重する気持ちを失わないでほしいから、世界中の子どもたちに、ショアーの事実を伝えつづけていきたいのです。そして、あのような残忍きわまりない行為が、どこにも、だれにも、再び行われることのないように、いつか大人となるあなた方に、注意深く世界を見つめてほしいと願いながら、わたしはこのお話を書きました。》
宗教のこと、人種のことは、歴史と深い関わりがあって、とても難しいかもしれませんが、この本の中では、あなたたちと同じように疑問を持ったレアが、あなたたちに代わって、おじいちゃんに質問してくれます。わからないことや疑問に思ったこと、違うと思ったことなどがあったら、どうぞ、先生や友だち、家族といっしょに、話し合ってください。学校の友だちとの小さな争いをなくすことは、社会の、そしてまた世界の争いをなくすことに繋がっているかもしれません。
わたしは忘れない2

2007年の夏に、金藤さん親子に、友人宅でお会いした。
今回フランスにはいらっしゃることのできなかった、金藤さんちのお父さんは、画家さんだと言う。できたばかりの詩画集を見せていただき、その線の繊細な抽象画に心打たれた。ふと、抽象画はこどもの本には向かないだろうか?と思う。
ちょうど目星をつけていた画家が、運悪く病に倒れ、「残念ながら、挿絵は辞退させていただく」とのお返事を頂いたばかりで、わたしは途方に暮れていたのだ。その人の絵が大好きなで、どうしても自分の本の挿絵を描いて欲しいとずっと思っていたので、同じようなタイプの絵を描く人を《代わりに》探そうとは考えられなかった。手法も、画材も、全然異なる画家を探し求めていたのだ。
こどもの本に限らず、本の装丁というのはその本の大事な大事な一面だ。まず本屋さんで「何を読もうかな?」と迷っている子羊をぐっと捕らえて逃がさない、手に取ってもらう役目がある。開いてちらっと読んで、買いたいと思わせるには、まず、視覚で捉えて、手に取ってもらわなければならない。
「こどもの本に、こんな絵が使えるのか?」
関係者は、みんな思っただろう。でも、真っ先に勇気を出してくれた編集さんがいた。
編集さんは福岡の金藤先生を訪ねてくださり、挿絵を書いていただく件はどんどん具体的になっていった。先生の鉛筆画を本の表紙にするには、特殊な撮影や、色の調整も必要だった。特殊な作業をするような予算はない。画家さんにはまた過酷な条件の中で、そして、畳一畳分ぐらいのいつものキャンパスから、小さな挿絵に絞られるという慣れない条件の中で、熱心に作業を続けていただいた。
「挿絵ができれば、予定通り出版で来ます」とのこと。返して言えば、挿絵ができなければいつまでたっても本にならないというようなことだったので、わたしは発破をかけるために(?)別件で帰国した際、鹿児島から福岡まで日帰りで、金藤先生のご自宅を訪ねた。
先生のアトリエで、芸術家の描いた、本物の絵を前に、先生の描く異次元の世界について少しお話をした。
『天から落ちて来たおじいちゃん』はそのころは『おじいちゃんは天からの贈りもの』になりつつあったが、『大好き、おじいちゃん』や『おじいちゃんは贈り物』などに名前を変え、最終的にわたしの提案した『わたしは忘れない』になった。なにもかも、わたしの希望をできるだけ叶えていただいて、本が出来上がった。
つづく
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