samedi 30 août 2008

わたしは忘れない1



 2005年という年は、重く暗かった。
冬の図書館で、この本に出逢った。
現代を直訳すると『天から落ちて来たおじいちゃん』という題になる。
ラストにおじいちゃんをがんで亡くす9歳の女の子の、この悲しい物語は、まさに、自分の娘のとわたし自身の物語のような気がした。

 当時、わたしはまだぐずぐずとプロ翻訳家のアシスタントをやっていた。あまりにも仕事が多いので、自分の翻訳本を準備する余裕などなかったし、チャンスも、能力もありそうになかった。
アシスタントの最後の仕事となった、中国の女帝の物語は、史実に従うもので、中国時代の歴史や、中国語の読み物を集めるのに、膨大な時間が掛かった。漢文も歴史も好きな科目だから、けっこう楽しく働いたが、一日八時間以上、数ヶ月の労働が、数万円にしかならなかった日、わたしは絶望した。
「こんなことなら、せめて、仕事をやった分、自分の名前が表紙の片隅にでも残るように、自分の翻訳本を手がけたい!」

 プロの先輩翻訳家からは、「持ち込みは難しい」「レジュメを読んでもらえるのは大変なこと」と聞いていた。そのうえ、「一冊売れたら家が買える」ような小説家とは大違いで、翻訳の仕事で儲かっている人などいないことぐらい、このごろのわたしにはよくわかっていたので、自立しようと思って焦ってはいけないと思えた。

 いつもお世話になっている本屋さんであり、文筆家でもあるヒントブックスの山田さんに相談した。
http://hintbooks.biz/a/wiki.cgi

「出版業界で知ってる人は何人かいるが、その本がどんな分野で、本当に良い作品、また翻訳もどうなのか、わからなければ紹介もできないから、あらすじや感想を書いてみせてください」
と言ってくださった。
そうして、「これで紹介できそうです」と言っていただけるまで、わたしはレジュメを10回以上も書き直した。
またもやわたしには想像もできない人の縁で、大阪の文研出版にたどり着いた。
http://www.shinko-bunken.com/bunken/


 担当の方は、わたしの名前をご存知だった。
『サトウキビ畑のカニア』を読んでくださっていたからだった。この本が名刺代わりになったのだった。

 文研出版にはじめてメールを書いたのが、2006年の1月。2006年の9月に改めて『天から落ちて来たおじいちゃん』のレジュメを送らせていただいた。そのあと出版社から、翻訳専門のエージェントを通して、フランスのカスターマン社と連絡をとり合っていただいて、日本での出版権を獲得したと電話があり、「翻訳開始」となったのが、2006年の10月27日だった。
http://nonoetbobo.blogspot.com/
 一作目の失敗を振り返り、全文の「ざっと訳」はすでにできていたが、納期まで絶対に早送りせず、何度も読み直して、完璧だと思ってから訳を提出することにした。

 一年掛けて翻訳を提出した。その間2007年の春に、フランスで文研出版の編集者の方にお会いする機会と、次の週には原作者のヤエル・ハッサンさんとも朝食をご一緒させていただく機会があった。

                 つづく

Aucun commentaire: