samedi 30 août 2008

わたしは忘れない2



 2007年の夏に、金藤さん親子に、友人宅でお会いした。
今回フランスにはいらっしゃることのできなかった、金藤さんちのお父さんは、画家さんだと言う。できたばかりの詩画集を見せていただき、その線の繊細な抽象画に心打たれた。ふと、抽象画はこどもの本には向かないだろうか?と思う。
 
 ちょうど目星をつけていた画家が、運悪く病に倒れ、「残念ながら、挿絵は辞退させていただく」とのお返事を頂いたばかりで、わたしは途方に暮れていたのだ。その人の絵が大好きなで、どうしても自分の本の挿絵を描いて欲しいとずっと思っていたので、同じようなタイプの絵を描く人を《代わりに》探そうとは考えられなかった。手法も、画材も、全然異なる画家を探し求めていたのだ。

 こどもの本に限らず、本の装丁というのはその本の大事な大事な一面だ。まず本屋さんで「何を読もうかな?」と迷っている子羊をぐっと捕らえて逃がさない、手に取ってもらう役目がある。開いてちらっと読んで、買いたいと思わせるには、まず、視覚で捉えて、手に取ってもらわなければならない。

 「こどもの本に、こんな絵が使えるのか?」
関係者は、みんな思っただろう。でも、真っ先に勇気を出してくれた編集さんがいた。

 編集さんは福岡の金藤先生を訪ねてくださり、挿絵を書いていただく件はどんどん具体的になっていった。先生の鉛筆画を本の表紙にするには、特殊な撮影や、色の調整も必要だった。特殊な作業をするような予算はない。画家さんにはまた過酷な条件の中で、そして、畳一畳分ぐらいのいつものキャンパスから、小さな挿絵に絞られるという慣れない条件の中で、熱心に作業を続けていただいた。

 「挿絵ができれば、予定通り出版で来ます」とのこと。返して言えば、挿絵ができなければいつまでたっても本にならないというようなことだったので、わたしは発破をかけるために(?)別件で帰国した際、鹿児島から福岡まで日帰りで、金藤先生のご自宅を訪ねた。

 先生のアトリエで、芸術家の描いた、本物の絵を前に、先生の描く異次元の世界について少しお話をした。
『天から落ちて来たおじいちゃん』はそのころは『おじいちゃんは天からの贈りもの』になりつつあったが、『大好き、おじいちゃん』や『おじいちゃんは贈り物』などに名前を変え、最終的にわたしの提案した『わたしは忘れない』になった。なにもかも、わたしの希望をできるだけ叶えていただいて、本が出来上がった。

                         つづく

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